3月11日の日に

今日は3月11日です。

午前中は毎年恒例の健康診断に行ってきました。

東日本大震災のときのことは未だに鮮明に覚えています。

外を歩いているといきなり「ドスン」という音がしました。

そして、しばらくすると「カタカタカタ」と地面が動き始めました。

私は「いつものように、少し揺れるだけだろう」と思っていたのですが、揺れがおさまることはありませんでした。

そして、地面全体が揺れ始め、立っていることが難しくなってきました。

はじめ木にしがみつこうと思ったのですが、木が周辺になかったため、建物の下に入ろうとしました。

すると、向かい側の2階の窓ガラスが割れて地面に落ちてきました。

「えっ」と驚いていると、逃げようとした建物にある時計屋のショーウィンドウの大きなガラスが割れました。

「あそこに行くのも無理だ」と思った私は、「頭だけでも守らないと」と思い、停車中の車の下に頭を入れようとしました。

しかし、その車は、ガソリンなどを積んである、いわゆる、「危険」表示のある車でした。

「もしこの車が爆発したら助かるどころか即死だ」と思った私は、車の下に隠れることが出来ず、電柱にかろうじてしがみついていました。

どれだけの時間が立ったかはわかりません。

しばらくすると揺れが収まりました。

私は、ヘルメットを被った作業員の方と顔を見合わせて「すごい揺れでしたね」と言葉をかわしました。

家に帰るとき、「部屋はものすごい状況なんだろうな」と思っていたのですが、部屋の中は不思議と外出したときと同じ様子でした。

自宅の中の物も特に壊れていませんでした。

テレビを付けた時、何があったかを私は知りました。

私の祖父母は岩手県出身です。

祖父は五戸町にいたのですが、戸籍を見たら岩手で生まれているみたいです。

まあ、私にとっては青森出身でも岩手出身でも関係ありません。

祖父母は大好きです。

祖父母の出身地が信じがたい様子になっているのを見て、私は言葉を失いました。

しかし、あれだけの津波があった時、一個人である私にできることは限られていました。

自衛隊の方が被災地で活躍する姿を見て、私は非常に悔しい思いをしました。

その後、弁護士の方などが、被災地支援に行っているという話を聞き、「知識があれば人の役に立つことができる」と強く実感しました。

2011年は忘れられません。

なでしこジャパンが女子サッカーワールドカップで優勝したこと、福島県代表の聖光学院が夏の甲子園大会で金沢高校に負け、エースの歳内選手が「勝たなければいけない試合だった」と涙したこと。

それ以外にも色々あったのでしょうが、今は思い出せません。

私も中学時代に他人とは異なる信じがたい体験をしました。

ただ、幸いなことに、私はその後も生き続けることが出来ています。

そして、更に幸いなことに、加害者に訴訟を提起し、勝訴することも出来ました。

そして、昨年は司法書士試験にも合格しました。

「生きていたからこそ」というと、軽々しい言葉に聞こえるかもしれません。

ただ、生きていたからなんとかここまで頑張れました。

東日本大震災によって両親をなくした子どももいます。

住んでいた地域から離れなければいけなくなった方もいます。

そして、無念にも命をおとされた方や、ご家族をなくされた方もいます。

「大変ですね」というのも憚られるほどつらい体験をされた方がいるのだと思います。

私は、先月20日に司法書士として登録されました。

父親が弁護士であるため、事務所を借りて開業することも出来ました。

もっとも、父は高齢のため、訴訟案件をバリバリこなしているわけではありません。

父の知識や経験を借りながら仕事をすることしか出来ません。

しかし、私はなんとかここまで頑張れました。

最初からすべてが上手くいくことはないのでしょうが、それでも頑張らなければいけないと思います。

3月11日は辛い日です。

毎年様々なことを考え思い出します。

私はナルシストなのかもしれません。自分に酔いしれているのかもしれません。

でも、今年1年を無駄にしないように、しっかりとした自覚を持って頑張りたいと思います。

最後に、東日本大震災で、亡くなられた方の御冥福を心からお祈り申し上げます。

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