苦労人を演出しないことの大切さについて

本日もお読みいただき有難うございます。

司法書士試験本番まで、待ったなしの状態です。

今朝は択一の過去問を先ほどから解いていました。

このブログを書いた後も、3時くらいまで択一の問題を解いて、その後、記述の勉強を練るまで頑張りたいと思います。

こういうことを書いていると「頑張っていますね」と言われる時があります。

まあ、頑張っていないわけではないのですが…。

ただ、自分から「頑張っています」という事を敢えて言う必要もないと思います。

人間の評価というものは他者が下すものですし、他人が自分を見てどう判断するかについて、あえて自分からアピールをすることは「どうかな?」と思うからです。

時折「私は日本一の苦労人」「他人の痛みのわかる人間」などと言った言葉を口に出して言う人がいます。

まあ、その人がそういう人間である場合も多いので、それ自体が悪いとは思いません。

ただ、言っている言葉と行動に齟齬がある人間も時折います。

以前、韓国の囲碁棋士の曺 薫鉉(チョ・フンヒョン)さんの「言葉だけではわからないから、行動をしっかり見る必要がある」という言葉について書かせていただきました。

口先で苦労や努力を語っても、何もしていないのであれば、いずれバレてしまいます。

そして、それはそのまま自分に跳ね返ってきます。

「そういえば思い当たる節が」という方も多いのではないでしょうか?

「他人のふり見て我がふり直せ」ではないですが、他人を見てそう思った事があるのであれば、自分自身がそうならないようにする必要があると思います。

あまり言いすぎると「お前はそんなに立派なのか」と言われるので、この程度にしておきますが…。

勉強をしていて感じるのが、自分の評価と客観的な評価のずれを確認するのは大事だという事です。

この間のLECのスーパー公開模擬試験の記述の結果もそうですが、自分の主観と客観がずれるという事はよくあります。

これが良いずれ方なら問題ないのですが、自己評価が高すぎて内容が伴わないのであれば修正する必要があります。

この作業を怠ると、何時まで経っても成績が安定しません。

結局、試験勉強というのは、普段の人間関係などと一緒なんでしょうね。

「俺がこう思ったんだからいいじゃないか」などと一方的に相手に行っていても通用しません。

これが通用するには、ドラえもんのジャイアンだけです。

ただ、当たり前ですが、ジャイアンはアニメのキャラクターです。

私は、ジャイアンの事が結構好きなのですが、ジャイアニズムを現実社会に持ち込むと、友達が減る可能性がかなり高くなります…。

人間関係は、相手あってのものです。

友情も愛情も、相手が何とも思っていないのに「友達だよね」とか「恋人だよね」と言った場合は、後々面倒なことに発展します。

試験の場合は「不合格」という結果が待っています。

「人間関係は試験のように合格不合格がはっきりしないのでは」という方もいると思うのですが、実際はそうでないと思います。

だって、相手から「友人と思っていない」と言われたら、即友人不合格ですから…。

相手が「この人と友達でいたい」と思われない友達関係なんてないですよね。

だから、それほど変わらないと私は思っています。

試験勉強を一人で黙々と続けていると、こういうことを時折感じることもあります。

こんな時にいつも私を慰めてくれるのは、1カ月ほど前から現れ始めた、ウグイスのウグちゃんの鳴き声です。

時折聞こえるウグちゃんの鳴き声に癒されながら、この後も勉強を頑張りたいと思います。

最後までお読みいただき有難うございました。

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