岩手から世界へ—大谷翔平選手のMVP受賞が示す未来への希望

大谷翔平選手が、大リーグ、ナショナル・リーグの2024年レギュラーシーズンの最優秀選手(MVP)に選ばれました。

MLB史上初めて投打の「二刀流」を本格的に成功させた彼は、日本だけでなく世界中の野球ファンを魅了し、もはや伝説的な存在といえます。

実は、私は祖母が岩手県出身なので、大谷選手を高校生時代から応援してきました。

その私からすると、今の大谷選手は「予想以上」の存在になってしまったと言えます。

そんな大谷選手の偉業に触れるたびに思い浮かぶのは、彼が育った岩手県の花巻東高校の時のことです。


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弱小だった岩手の高校野球が変えた歴史

岩手県といえば、高校野球の世界では「当たれば勝てる」と言われるほど弱小県で有名でした(神奈川県には相性が良かったのですが…)。

しかし、2000年代後半に菊池雄星選手が出現したことで流れが大きく変わります。

菊池選手は2009年、花巻東高校を春夏連続で甲子園に導き、一躍注目を集めました。

大分明豊戦での菊池選手の負傷もあり、花巻東高校は中京大中京に準決勝で敗退し、悲願の甲子園制覇はなりませんでした。

そしてその後、彼の背中を追う形で登場したのが大谷翔平選手です。

大谷選手で思い出すのが、春の選抜で大阪桐蔭の藤浪選手から撃ったホームランですね。

あれはテレビで見ていて驚きました。

また、私は夏の高校野球岩手県大会決勝はネットでスコアをチェックしていたのですが、残念なことに花巻東高校は盛岡大付属に敗退してしまいました。

その時の夏の甲子園の開会式で、高野連の会長が「大谷選手を見たかった」と言ったのは有名な話です。

花巻東の二刀流として甲子園を沸かせた彼は、卒業後に日本プロ野球(NPB)を経て、現在のMLBでの輝かしい活躍をするに至りました。

そして、現在岩手県3人目に大リーガー(ポスティングの予定)として騒がれているのが佐々木朗希選手がいます。

彼もまた岩手県の大船渡高校出身で、NPBロッテに入団後は完全試合を達成するなどの快挙を遂げています。

また、昨年ドラフト1位で巨人に入団した西舘選手もいます。

弱小県と呼ばれていた岩手が、今や世界的なスター選手の「故郷」として知られるようになったことには驚きを禁じ得ません。


日本人メジャーリーガーの活躍—隔日の差

大谷選手を筆頭に、近年は日本人選手がメジャーリーグで次々と成功を収めるようになりました。

一昔前、野茂英雄選手が初めてメジャーで成功した時には、「日本人がアメリカで通用するのか?」といった声が大勢を占めたのを私は覚えています。

しかし、現在ではそんな疑問を抱く人はほとんどいません。

ダルビッシュ有選手や田中将大選手、そして現在活躍中の吉田正尚選手や千賀滉大選手など、日本人選手が活躍するのはもはや当たり前の風景となりつつあります。

野球界でのこの変化を見ていると、「隔日の差」という言葉が頭をよぎります。

大谷選手たちの活躍は、以前の常識や限界が、数十年という時間の中で大きく変わることを象徴しているのではないでしょうか。


時の流れと人の人生

この間、久しぶりにテレビで昔のアイドルを見かけました。

若い頃に輝いていた彼女(彼ら)たちも、歳を重ね、それぞれの人生を歩んでいます。

芸能界で今なお活躍している人もいますし、一方で、表舞台であまり見かけなくなった方もいます。

20年、30年という時間は、人生にとって決して短くはありません。

時の流れは人々に公平で、良い時も悪い時も与えます。その間に成功する人もいれば、苦難を乗り越える人もいます。

これは私たち自身にも言えることです。

今をどう生きるかによって、20年後の未来は大きく変わるかもしれません。


自分の未来を描く

大谷翔平選手がMVPを受賞したニュースは、彼の努力と才能を称えるものですが、それだけではありません。

それはまた、私たち一人ひとりにも「未来を変える力」があることを思い出させてくれます。

かつて高校野球弱小県だった岩手県が全国的な名選手を輩出する地へと変わったように、私たちの人生も、努力次第で大きく変えられるはずです。

私自身、20年後にどうなっているのかを考えると、明確な答えは出ません。

しかし、大谷選手のように努力を積み重ね、明るい未来を描ける人生にしたいと強く思っています。

困難な状況でも、希望を失わずに進んでいけば、いずれ必ず予想以上に未来を手にする瞬間が訪れるはずです。

そうなるためにも今頑張らなければいけないのでしょう。

20年後の私はどうなっているのでしょうか?

少しだけ期待して頑張りたいと思います。

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